レビュー

CLANNAD考察2

ということで、飽き足らずネタバレ考察です。今回は登場人物の名前について。ということでネタバレ注意。

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えーっと、自分がPS2版のCLANNADを買って落胆した事実。それは主人公の名前を変更すると音声が再生されないってこと。・・・そう、これは前日記に書きましたね。まぁ当時は納得いかず(オレ感情移入するために自分の名前でプレイするの多いんです)、音声無しなら結局PC版と一緒じゃん、と、しばらくPC版でやってました。でもまぁ途中で主人公の名前変えまいが何だろうが音声ありのほうが感情移入できるってことに気づいて、PS2版でやりだしたわけですが。

で。なぜ登場人物の名前のことを考察するとか言いながら、こんな話題から入ったのか、と言いますと。今までの鍵作品はPSS版しかやったことないオレなのですが、そちらでは別に名前を変えようが何しようが音声は再生されてました。・・・って、ことは・・・何か意味があるんジャマイカ。そう思ったわけです。

まず、ゲーム中の登場人物の名前でムリヤリ解釈して感じることは、季節感のある名前。春原、秋生さんは言うに及ばず、早苗さんや、伊吹(息吹)、芽衣、と。・・・って、あっきー以外はほとんど春、連想しますね。んで、あとは木に関する名前。かっぺい(柊)、美佐枝さん(枝)、藤林姉妹(林、杏、椋)、芽衣もある意味そうだし。木の季節とかよくわからないんですが、こんな感じで季節感や自然(木=自然というか、タイトルで木が象徴的に町と結び付けられていたという意味で)をそれとなく連想させたのかなーと、思ったりもするわけです。CLANNADは今までの鍵作品と違って季節を一点に絞ってない、ってとこで季節感。それと関連しての願いがかなう場所を”木”で暗示させつつ、と。・・・でも、ここに挙がってないやつらはどうなるんだ、となるので、やっぱりむしろ普通に日本人の名前つけようと思えば季節感やら自然やらは入ってきちゃうってことかなぁ・・ハハハ・・・。

まぁ個別に他のやつらの名前見ていくと、ことみは5月13日、あと親のイニシャルKとM、あと・・・何かあったんだけど忘れちった。たしかひらがな三つでことみでトリプルミーニングだった希ガス。智代は・・・坂上、ですよね。同じ高みへ、ってことで、それを印象付ける名字。・・・ってか、話それますけど、ソララドアペンド・・・かな、「同じ高みへ」の曲のボーカル版入ってたんですが、てっきりオレ「同じ高みへ」は智代を象徴づける曲だと思ってたんですけど・・・なんか歌詞の内容みると渚のこと言ってるっぽいよね。・・・で、風子は・・・まぁ風の少女、っていうくらいですし。後はエピローグで幻想少女?の風、というか雰囲気を感じ取った一番目のヤツですしね。

・・・と、ここまでは何とかムリヤリ意味つけてきましたが、どうも他の人達は・・・。例えば公子さんとか、幸村とか、ゆきねぇとか。わかんねです。なんか解釈ないかなぁ。

んで、問題の音声再生問題から提起された、主人公の名前。えーっと、ここでまたひとまず脱線します。渚と汐の名前についてです。ゲーム中で語られるように、汐の名前は渚のそれを比喩的に用いて名づけられますよね。・・・汐ってどんなDQN名前だよおい、とか一瞬でも思ってしまった自分がちょっと恥ずかしいです。珍しい名前でも、あんな風に考えてもらえるなら、子供も幸せですよね。・・・って、オレの名前は某野球マンガの主人公の名前をとってつけただけだっけ・・・とにかく、親には感謝してますよ、ええ。

で、肝心の主人公の名前ですが、ともや、朋也、です。智也でも、知也でもありません。今変換しても、一発では朋也って出てきませんもん。で、この”朋”、とも、の文字、一応辞書的に言うと”友”、とも、と同音でほぼ同じ意味を持つらしいです。中国語で朋友ってあったなぁ。・・・まぁそれだけでも、この朋には、CLANNADで語られる人とのふれあいがあんじされてます。んで、あと気になったのが、月が二つで朋。・・・辞書的にはこれ貝が二つでそれが変化して朋になったみたいですが。そんな辞書的意味はここでは置いときます。・・・この字を月と考えると・・・。汐って潮です、意味的に。んで渚はその潮が引いては返す場所。じゃあ月は・・・?そうです、潮の満ち干きを促します。つまり、潮、すなわち汐を左右するのは”朋”也、ひいては渚とも関連が深い名前なわけ。・・・と、考えて、あー、なるほど、と一人で納得したわけです。

でも。これ書いてる途中で気づいたんですが・・・。あのー、確か主人公の名前変えると秋生さんやゆきねぇが違ったリアクション見せてくれますよね?・・・もしかしてただ単に、その音声増しのフラグ立てがめんどかったから・・・主人公の名前変更すると音声再生されないのか・・・?とか思っちゃいました。まぁAIRでもおんなじようなネタがありましたけど・・・あれはバリエーション少ないですもん。たしかたぶちさん、だっけ?でもCLANNADだとシャアやら何やら・・・多いですからね。

ま、えてしてこういう作品考察は深入りしてしまうもの。小説なんかもそうですけど、一旦作者の手を離れるとその作品は”生き”ていきますもんね。

というわけで、まだまだ書き足りませんが、今日はここまで。・・・あー、歯医者行かなきゃ。めんどくさい・・・。

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CLANNADレビュー

CLANNADの考察をば。まず現時点で思っていることを。毎度のネタバレなので注意。

そういえば、CLANNADのビジュアルファンブック、届きました。まぁこの中での麻枝さんを始めとしたシナリオ陣へのインタビューは非常に興味深いものでした。しかも幻想世界のテキストも載っていたんで、話の整理に役立ちましたねぇ。

で、麻枝さんがこのインタビューで言ってたんですが、幻想世界の「けもの」は「こっちの世界」での人工物だとのこと。だから、「けもの」が緑を食ってるシーンありましたけど、アレはこっちの世界で言う開発でしょうね。・・あー、あと、麻枝さんによれば、幻想世界の少女が、けものを抱いて「優しい匂い」と言ったのは、その「けもの」がだんご大家族のあのクッションだったとのこと。つまりは、「その匂いは渚の匂いなんですよ」・・・とのこと。ってことは、やっぱり幻想世界の少女は汐?・・・たしかに幻想世界のラスト(13だっけ)で、最後に少女が言ったっぽい言葉が、

「さようなら・・・パパッ・・・」

だったけど・・・あくまで言った「っぽい」、だから、あれってプレイ当時よくわかんなかったんですよね。今も計りかねてますけど。まぁあの幻想世界のラストの内容を咀嚼すれば、前の智代アフターの解釈でも書きましたが、CLANNAD全体が、渚を救済するための「光」を集める過程ととらえることができるとおもうんです。

汐ENDで、最後に朋也が「そしてオレは・・・この世界での意識を・・・閉じた」とあり、その直後、幻想世界に場面が移行することも考慮すれば、その解釈がしっくりくるかな、と。この幻想世界での少女との会話で「こっちの世界のことは覚えていないけど」みたいなことが言われてたと思います。そして「助けたい人がいるなら光を集めて」とも言ってたしね。

・・・んで、やっぱりあの少女って汐?・・・でもそうなるとTrueEND後の木の下にいる少女(ちなみに自分の解釈ではあの情景はエピローグの風子が駆け寄った木だと思います)が誰だよおいって話になりますが。それに、なんで渚が幻想世界の話を知っていたのか、ってのもわからない。これについては町の願いがかなう場所、で「町そのもの」と接触した渚が、幻想世界を感じることができた、っていうことで落ち着くかな、と思いましたけど。でもあの話って、幻想世界の少女(汐?)と人形(朋也?)の話っしょ?・・・だったらなんで親である渚がその件を知っているのか、となる。

・・・話が脱線しますが、ゲームの一つにこんなクソ真面目に解釈するなよ、っと言われるかもしれませんなぁ。でも、こういう考察って面白いですもんね。ってか、今文学部とかで源氏物語だとか古典を研究してる方と同じようなこと(もちろん当時の風俗など、社会学的側面も重視しているので、一概に同じ、と言ってしまっては失礼極まりないですが)ですもんね、こういう考察って。要は漱石や賢治やドストエフスキーやニーチェの著作を研究するのとかともある意味同じかと。・・・でも、大衆文学となって発行部数ありきの文物になってしまって、「わかりやすい」のが蔓延してしまった、ってことで現在の文物は文化性が低下した、とかも聞きますけどもさー。でも古典も昔で言えば「古」典ではなかったわけだし、マンガとかゲームとかを文化的に考察する機関とかできればいいと、思ったりするわけです。言っちゃ失礼ですが、今あるゲーム学科、やらメディア学科、ってのはほとんどゲームをつくる、とかマンガを描くとか、実践のみだと思うんですよ。だからそういうのではなく、大衆娯楽とかを研究するものがあればいいのにねぇ。・・・って、よく考えたら科学史の講座とかあったな、オレの学部。ならどっかでとっくにコンピュータ限定の歴史とかの講座ってありそうだな・・・。しがない政治経済学部生の悲しい見識の狭さ。ということで、こんな考察もありだよ、と自分を納得、擁護しつつ。そして、自分の恐ろしい脱線のしかたに反省しつつ。

で、話を元にもどしますと、あー。結局わかんね。ってなって。まぁそういや、草野球ENDやってねーな、と思って、また改めて最初っからやってみたら、なーんかいろいろと何気ないセリフに重みを感じた。例えば、最初の主人公のセリフ

「この町は嫌いだ。忘れられない思い出が染み付いた・・・」

これって渚の死、汐の死のことの隠喩ではなかろーか?そういえば、輪廻のことで幻想世界の少女が「始まりの場所に戻る」やらなにやら言ってたから、やっぱそうなんでしょう。あれ?でもこれ、ただ輪廻のことを補強したに過ぎないね。渚がなぜ幻想世界の「話」を知ってたかはわかんね。

・・・うわ、なんだこの超長文。我ながらまとまってねぇ。・・・まぁ、ソララドとかソララドアペンドとか、スタッフインタビューをじっくり読めばまた見えてくるものがあるだろう。・・・今度CLANNADについて友人と語り合おう。・・・あまり考察とか好きじゃないかもしれないけど。

でも、やっぱ智代アフターやった後に考えてみると記憶の輪廻とかが印象的・・・って、これ以上言うとありえない長さになりそうなのでここらへんで今日は締め。

あー、大学の友達で鍵信者いねーかなー?ってか、もうオレの趣味をバラそうかなーとか思い始めている大学生がお送りいたしました。

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智代アフター考察

一日で走りきったこの作品。じゃあ、ネタバレ感想なので、注意してくださいね。

・・・これくらいスクロールすればいいかな。まぁ反転させればスクロール必要なしですけど勢い余ってクリックしっぱで見ちゃう方もいるかな、とか思っちゃいまして。

で、智代アフター、やり終えたわけですが。PS2版ではいくらか解釈の余地がある?仕様になっているらしく、PS2版やったおかげで、PC版で鬱ってた自分の友人も鬱からなんとか解放されたらしいです。まぁなんだかんだでオレはPC版の智代アフターですけど。

まぁこの結末は物議を醸す内容でしたね、確かに。物語冒頭でなぜにタイピング調?と思いましたが、ありゃあの部屋のパソでの「誰か」への智代の思いだったわけですな。まぁつまりはこの智代アフターは、智代視点で、朋也の気持ちを代弁したような語り口(わけわかんない表現ですいません)での話だろうと思うんですね。まぁそれはいいとして。実を言うと、自分はいわゆる肯定派(肯定も否定もないとは思いますが)ですね。それは自分なりのCLANNAD解釈があるから、ですけど。もうすぐCLANNADの考察モノの文も書こうと思ってるんで、そこでその解釈をまとめたいんですが、その前に、そのためにも、敢えて智代アフターを考えてみる、と。

CLANNADでは輪廻があったと思うんです。つまりは渚を、ひいては汐を救うための。その一環としての光の一つが智代であった、と。そして、その光は、智代アフターのアフターのような過程で得られた、と。なんかCLANNADの智代シナリオはしっくり来なかったんですよね。鷹文の件が薄かったのが大きいやもしれませぬが。まぁこれ以上書くとCLANNADの考察が多く入ってきちゃうのでここでカット。

まー、早い話が、渚がお気に入りキャラの殿堂入りを果たしている自分の心の中では、この智代アフターでさえも、渚救済の一環と考えるわけです。・・・ええ、ご都合主義的解釈です。笑い。・・・智代ファンの方ごめんなさいです。智代との愛を否定するわけではございませんので。で、ハナシを元に戻すと、朋也の早い死は、幻想世界への回帰を早く望まれていた、というか望んでいた、というか・・・を暗示していると思うのです。

「生きがいってのは変化の欲求」

っていうセリフをゲーム中の管理人さんが言ってました。これ、オレの人生哲学を要約してくれてます。置換すれば隣の芝が青く見える遠因・・・ですよね。で、記憶を再三にわたって失くし、リロードしては失くしていく、朋也に対して手術を切り出そうとする智代がいう言葉

「でも、もう終わらせよう・・・この繰り返しの日々を」

これがCLANNADの輪廻の中での重層的回帰を示しているってわけで・・・非常に興味深い。初めの頃の渚が恐怖してた変化への恐怖。それが対照的に語られるCLANNADのAFTERのテーマを、智代アフタでは、別のテーマを絡めながら、麻枝さん達は書こうとしたんじゃないでしょうか?

・・・はい、渚贔屓のご都合主義的解釈で申し訳ないです。まー、ともが母親の下へ走り出していくシーンが、汐が走り回ってるシーンと対称的に見えてしまいましたねぇ、そういえば。ともは帰って『いった』、そして汐(幻想世界の少女)は帰って『きた』。ということで、いつもどおりまとまりのない文ですが、ここらへんで締めておきます。

あー、CLANNADの考察、早くまとめたいなぁ。文として残すことに、意義、ありますからね。

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