エッセイ

なんで人って生きるの?

という、生徒からの質問。塾バイト中ですよ。とりあえず、真面目に答えるとオレの哲学談義が始まっちゃうのでその場はスルー。まぁ、最近、ニーチェを読んでて哲学ってるので帰宅してベッドに入ってから考えてみた。

なんで人が生きるかって?・・・その人にはその人なりに生きる意義があってその目的を達成するために生きてるんだ、っていうことをよく聞く。ま、実際そうでも思ってなくちゃ生きていけないわなー。・・・でも、とどのつまり、死にたくないから、生きてるんじゃないかな。消去法的思考だけどさ。ではなぜ死にたくないのか。生きたいから?・・・そんな二律背反的思考じゃ、ただの逃げ口上。・・・だったら、なんで、死にたくないのか。

オレが思うに、知らないから、死にたくないんだと思う。死んだ後のことって、皆知らないじゃん?死んだ人しか、わからない。こういう視点から、鑑みると昔、「現世は魂の修行のためのもの」っていう考えをもっていた人がいたのもなんとなく頷ける。つまり、今生きているこの人生は、自分の魂のグレードを高める修行なんだ、と。そうなると、生は苦であり・・・って、めっちゃ仏教的観念じゃんこれ。ま、いーか・・・で、続けると、すなわち死は「逝く」ものではなく、「還る」ものなんじゃないか、っていう考えですよね。「逝く」なら自分が知らない場所に「逝く」わけで、怖いです。でも「還る」なら自分がもといた場所に「還る」わけだから死は忌まれるべき存在にはならないハズ。

そもそも「死ぬ」ことがここまで忌まれている時代はないんじゃないだろーか。死から逃げ、恐れ、排除する。生きているってことは緩やかに死んでいることなのに、ね。つまり、死って身近な存在なのに。・・・偶然の死を悲しむものはいても、偶然の生について喜ぶ人は少ない。ここで言ってる生は、誕生の意のそれじゃない。日常の生のことだ。今オレキーボード打ってるオレだって、部屋の蛍光灯が突然落ちてアタマ直撃で死ぬ可能性だってもちろんあるし、これ読んでるあなただって、もしかしたら突然の心臓発作で死んでしまうかもしれない。そう考えると、生きている、って不思議だ。

話を元に戻そう。なぜ人は生きるか、だったよね。上でいろいろ書いたけど、ここまで言ってきてやっぱわかんねーよね。でも少なくとも、人は解明された事柄への興味は失ってしまう、そんなことを考えれば生の理由の解明、それすなわち生への興味の喪失を意味するんじゃないか、とも思うわけです。

どーみてもただの逃げ口上ですけど、ご了承くださいです。

・・・とりあえずこの問題を深めると独我論にもぶつかっちまうんですがね、オレは・・・。ま、今日はここらへんにしときます、それでは。

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GDPって

昨日塾の生徒に水の循環性とか関連でリサイクルについて語ったときにふと思ったんだけど・・・。

リサイクルさまさま状況な今の社会。・・・でも経済成長も望まれてたり、っていう矛盾した状況ですわな。よく「税金減らせ」って言いつつ「福祉もっと充実させろ」とか無理なこと言う人が多くなってきたらしいけど、リサイクルと経済成長もそんなかんじじゃなかろーか。リサイクルってつまりは再生産なわけですから、GDPみたく「生産」をもとにした指標には換算されないんですよね?・・・しかも資本主義社会のような使い捨て社会システムにおいてリサイクルって言葉はやっぱり未だに浮いているとしか思えない。しかもリサイクルする方がリサイクルする際の作業工程のコストのほうが大きいなんて話も聞きますし・・・。・・・さてさて、大学で環境経済学の講座でもとって教授に質問してみようっと。

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